師走
12月になり、令和2年(2020年)も残り1ヶ月になりました。今年は、新型コロナ一色の一年でした。1年前の12月、令和2年がこのような年になるとは誰も予想しなかったことでしょう。
常総学院の木内幸男監督が亡くなったことを新聞が報じています。1984年茨城県立取手二高が桑田、清原のPL学園を破って優勝した時、奥さまのパート先で職場の仲間も喜んでいる様子をテレビが放映しているのを思い出します。木内監督が妻のパート収入で生活していることは、優勝した時報道していました。東京新聞のコラム「筆洗」(2020年11月26日)が、その時の木内監督の経済状況を書いています。
「妻が未明に外出している。知らないうちに新聞配達を始めていた。理由を問うとたんすを指す。質に入っていない着物は一枚だけあった。・・・・・木内幸男監督の家計は危機的になっていたという。月々の手当は当初、4千円だったそうだ。奥さまはたいへんだったろうが、「木内マジック」と呼ばれることになる名采配が磨かれたのは、長い野球漬けの日々があってこそだろう。」
木内監督は、奥さまの支えがあってこそ世に出られ、取手二高が甲子園制覇優勝できたと思います。戦国時代の豊臣家北政所、加賀前田家芳春院、土佐山内家千代に比する貢献です。
来年は、先の見えない自粛生活の一年になりそうですが、落ち込むことなく、頑張って行きたいものです。令和2年12月10日